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最高裁判所第二小法廷 昭和56年(あ)929号 判決 1984年11月30日

主文

本件各上告を棄却する。

理由

被告人松田健次郎外七名の上告趣意のうち、いわゆる共謀共同正犯論の違憲(一三条、一九条、二一条、三一条、三七条)をいう点は、いわゆる共同共謀正犯の成立に必要な共謀に参加した事実が認められる以上、直接実行行為に関与していない者であつても、他人の行為をいわば自己の手段として犯罪を行つたものとして共同正犯の刑事責任を負うものと解すべきであり、このように解した上、本件各犯行につき実行行為者らと意思を相通じ共謀したものと認められる被告人らについて共謀による共同正犯としての刑事責任を問うことが憲法の所論規定に違反しないことは、当裁判所の判例(昭和二九年(あ)第一〇五六号同三三年五月二八日大法廷判決・刑集一二巻八号一七一八頁)の趣旨に徴し明らかであるから、所論は理由がなく、その余の点は、違憲をいう点を含め、その実質は事実誤認、単なる法令違反の主張であつて、適法な上告理由にあたらず、弁護人遠藤直哉、同佐藤優、同熊谷裕夫、同今村俊一の上告趣意は、違憲(三一条、三二条、三七条)をいう点を含め、その実質はすべて単なる法令違反の主張であつて、適法な上告理由にあたらない。

なお、所論にかんがみ、第一審の東京地方裁判所が本件各被告事件につき土地管轄があるものとして審理判決したことの適否について、職権で判断する。

一記録によれば、次の事実を認めることができる。

1  被告人らは、いずれも、昭和五三年四月一六日、本件各被告事件につき犯罪地及び被告人らの現在地として土地管轄を有する千葉地方裁判所に起訴されたものであるが、検察官は、同年六月一九日、同裁判所に対し、右各被告事件は東京都内に住所を有する伊藤みどりらに対する兇器準備集合等被告事件に関連するとして、これを刑訴法一九条一項により右伊藤みどりらに対する各被告事件につき土地管轄を有する東京地方裁判所に移送されたい旨の請求をした。これを受けて、千葉地方裁判所は、同月三〇日、本件被告事件については東京地方裁判所も管轄権を有するものとして、同規定により、いずれも同裁判所に移送する旨の決定(以下、本件移送決定という。)をした。本件各移送決定に対し弁護人らから即時抗告がされたが、東京高等裁判所は、同年八月一五日、右各移送決定に違法不当はないとして各即時抗告棄却の決定をし、右各決定はいずれも確定した。

2  一方、本件各被告人と同様の公訴事実により同五三年四月一六日千葉地方裁判所に起訴された谷川朋彦(当時は氏名不詳であつた。)に対する被告事件も、右各被告人の場合と同様に同裁判所の同年六月三〇日付移送決定及びこれに対する即時抗告棄却決定(同年八月一五日付)を経て東京地方裁判所に係属するに至り、その後、同人は東京都内に住所があること及び少年であることが判明したため、同年九月一二日同人に対し同裁判所で公訴棄却の判決が言い渡されたが、同人は、少年法所定の手続を経て改めて同年一〇月六日右公訴事実により同裁判所に起訴され、東京地方裁判所刑事第二部がその審理を担当することとなつた。同部は、同年一二月二二日、同人に対する被告事件及びこれと関連する外一〇名に対する被告事件につき審判併合決定をした。同事件の第一回公判期日(同五四年一月一一日)に、弁護人らから同裁判所には土地管轄がない旨の管轄違の申立がされたが、同部は、同人らに関する千葉地方裁判所の移送決定が確定していること等を理由に審理を進め、同五五年三月三一日同人らに対し有罪判決を言い渡し、その理由中で右管轄違の申立を排斥する旨の判示をした。右第一審裁判所の措置についてはその控訴審もこれを是認し、その上告審も控訴審の判断は結論において相当としている。

3  本件各被告事件の審理を担当することとなつた東京地方裁判所刑事第三部は、同五四年一月一二日に第一回公判を開いたところ、弁護人から同裁判所には土地管轄がない旨の管轄違の申立がされたが、刑訴法六条の関連事件の管轄は必ずしも固有管轄事件との弁論の併合を要件とするものではないこと、本件各移送決定が確定していること等を理由に審理を進め、同五五年三月三一日被告人らに対し有罪判決を言い渡し、その理由中で右管轄違の申立を排斥する旨の判示をし、原判決も右第一審裁判所の措置を是認した。

二しかるところ、本件記録による限り、本件各被告事件と前記伊藤みどりらに対する被告事件とが刑訴法九条一項三号所定の関連事件であるか否かが明らかでないことは原判示のとおりであり、かつ、本件各移送決定がされた当時被告人らのうちに東京都内に住居を有することが明らかな者はいなかつたのであるから、右時点においては東京地方裁判所が本件各被告事件につき土地管轄を有するものとはいえず、この段階でこれを理由に管轄違の申立がされたならば、右各被告事件について同法三二九条による管轄違の判決を免れなかつたというべきである。

三しかしながら、本件においては、前示のとおり、本件各移送決定が確定して東京地方裁判所に本件各被告事件の訴訟係属が生じたのち、前記谷川朋彦につき東京都内に住所を有することが判明し、同人は前示の経過でいつたんは公訴棄却の判決を受けたものの、同五三年一〇月六日改めて前記公訴事実により右住所地を管轄する東京地方裁判所に起訴されたものであるところ、同人に対する被告事件と本件各被告事件とが刑訴法九条一項二号所定の関連事件であることは記録上明らかであるから、同裁判所は本件各被告事件についても同法六条により土地管轄を有することが明らかになつたものというべきであつて、刑訴法所定の土地管轄制度及び同法三三一条の規定の趣旨に照らすと、このように、本件各被告事件につき本件各移送決定が確定し東京地方裁判所に訴訟係属が生じた時点以後において、たとえ一時期同裁判所に土地管轄があることが明らかでなかつたとしても、その後土地管轄が備わるに至つた場合には、土地管轄についての右瑕疵は治癒されたものと解するのが相当である(昭和五六年(あ)第一三九八号同五八年一〇月一三日第一小法廷判決・刑集三七巻八号一一三九頁参照)。

四なお、裁判所の管轄制度、刑訴法六条及び七条の各規定の趣旨に照らすと、同法六条所定の関連事件の管轄が成立するためには、いわゆる固有管轄事件及びその関連事件が共に同一の裁判所に係属することを要するが、必ずしも右の両事件が併合して審判されることを要件とするものではないと解するのが相当であるから、本件において、東京地方裁判所が本件各被告事件を同裁判所の固有の土地管轄に属する前記谷川朋彦に対する被告事件と併合して審判しなかつたことをもつて、本件各被告事件が同裁判所の管轄に属しないとすることはできないというべきである。

以上の理由により、第一審の東京地方裁判所が本件各被告事件につき管轄違の言渡しをすることなく実体について審理判決をしたことを是認した原判決は、結論において正当である。

よつて、刑訴法四〇八条により、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。

(木下忠良 鹽野宜慶 大橋進 牧圭次 島谷六郎)

被告人の上告趣意<省略>

弁護人遠藤直哉、同佐藤優、同熊谷裕夫、同今村俊一の上告趣意

第一、移送決定の内容的確定力と管轄の存否

一、控訴審判決の判示

控訴審判決は次のように判示する。

「……、前示のとおり右移送決定は抗告審の判断を経て確定し内容的にも拘束力を生じたのであり、移送を受けた東京地方裁判所はこれに拘束され、原則としてもはや再移送することは許されないから、原審裁判所が東京都に居住し、刑訴法二条一項により東京地方裁判所に管轄権のある伊藤みどりの前記兇器準備集合等被告事件と関連するものとして本件各被告事件について管轄権を有するとして訴訟を進行させたことに格別の違法はないというべきである。」(七丁表九行〜裏五行)

「……、同決定の際に、東京地方裁判所に管轄権があると認められ移送を適当とされた諸事情について、その後に移送を適当としなくなつた別の事情が明らかになり、あるいは新にそれが発生するなど事情の変更の生ずることも否定できず、この場合には証拠調べが開始されるまでは再移送も許されると解すべきであるところ、……、なお右の事情変更の有無について検討してみると、……、結局前示移送決定の理由とされた事情に変更はなかつたというべきであるから、伊藤みどりに対する兇器準備集合等被告事件等との関連をさらに調査するまでもなく、右谷川朋彦に対する被告事件との関連で東京地方裁判所が管轄権を有すると認めた原判決の判断に誤りがあるとは認められない。」(七丁裏八行〜八丁裏九行)

二、控訴審判決の論理

控訴審判決の右判示は、きわめてその理論展開があいまいかつ錯綜しており、その趣旨を捕捉するのが困難である。

しかしながらその趣旨を合理的に解釈するならば、それは結局次のような論理に帰着するであろう。

即ち、

(1) 移送決定の内容的拘束力(これは裁判の内容的確定力と表現することも出来よう)から、東京地裁は、東京地裁が伊藤みどりの兇器準備集合等被告事件と関連するものとして本件につき管轄権を有するという移送決定の判断に拘束されるということ。

換言するならば、移送決定の内容的確定力は東京地裁が前記事件との関連で本件につき管轄権を有することにも及ぶものであつて、右点について東京地裁は右決定とは別個に審理・判断することは出来ないものであるということ。

(2) 但し、東京地裁は、移送決定の際に東京地裁に管轄権があると認められる移送を適当とされた諸事情につき事情の変更が生じたときは、証拠調が開始されるまでは再移送も許される。

(3) しかしながら、結局、かかる事情の変更はなく、再移送は許されるべきではなく、本件につき東京地裁が管轄権を有することにつき問題はない。

三、控訴審判決の論理の検討

1 「事情変更」の論理の誤り

(一) 前項の第二、第三の判決の論理は奇妙に混乱している。

判示は「移送決定の際に東京地方裁判所に管轄権があると認められ移送を適当とされた諸事情」についての事情の変更について言及しているのである。

そして右事情の変更の有無の判断を管轄の存否の問題へと結合させる。

しかしながら判決の右論理は混乱としか言いようがない。

結論から言うならば、右事情変更の有無は再移送の当不当には論理的に結びついても、管轄の存否の問題へとは結びつかない。

(二) 理由は簡単である。即ち、管轄は存在するか、存在しないかだからである。移送決定では伊藤みどりとの関連で管轄が認められたのであり、この移送決定における東京地裁に管轄権ありとの判断が手に触れられないのであれば、管轄が存することは明白ではないか。「事情の変更」により管轄が生じたり消滅したりするなどということはない。

伊藤みどりとの関係で管轄があるのであればもはやそれで充分ではないか。

もし管轄が否定されるのであれば右伊藤みどりとの関係で管轄ありとした判断が再考される場合のみである。この判断に手を触れないなら管轄が存することは明白であつて、今さらどのような理由で管轄との関係で「事情変更の有無」が検討されうるのか。

事情変更の有無は結局再移送の当不当との関係でしか議論される余地はない。「伊藤みどりとの関係で管轄はあるが、事情の変更により再移送しうる余地もある」という論理はなり立ち得ても、「伊藤みどりとの関係で管轄はあるが、事情の変更により管轄がなくなつた」という論理はとうていなり立たないのである。

(三) 結局、控訴審判決はきわめて不当な論理の混乱をおかしているのである。

それは、次に詳説するように移送決定に管轄の存在の内容的確定力を与えることが不当であることを予感しながら、あえてその確定力を認めることを出発点としたことから当然に招来された混乱なのである。あえて言うならば、移送決定に管轄の存在の内容的確定力を与えることの不当性をあえて覆い隠そうとするために作出された意図的混乱とも言えるのである。事情変更の有無の検討なるものは管轄を否定する方向には絶対に作用しないリップサービスである。そしてそれはまた逆に管轄権の存在を補強するためにも何の役にも立たない代物であると言わねばならないのである。

2 移送決定に管轄の存在の内容的確定力を認めるべきか。

(一) 前項の判決の第一の論理について検討しよう。

結局そこで述べられているのは、東京地裁は確定した移送決定の内容的確定力に拘束されて東京地裁が伊藤みどりとの関係で本件につき管轄権を有するという判断とは別個の判断をなしえないということである。そこの論理では判然としないが、別個の判断が出来ない以上、この点についての審理も不要ということになるのであろう。

(二) ここで検討すべきはかかる内容的確定力、拘束力を認めることが相当であるか否かということである。

もちろん、すべての裁判には内容的確定力が認められるべきであろう。それは法的安定性の見地からも当然に首肯される。

但し、その内容的確定力・拘束力の範囲・程度は、当該裁判の主要な判断事項が何であるか、また当該裁判手続の具体的態様がどのように定められているか、人権保障の観点からこれを不当に侵害する怖れが存しないかなどとの諸点を勘案し、法の趣旨を合目的的に演繹して解釈しなければならない(刑事訴訟における枢要な内容的確定力とも言うべき有罪判決の実体的確定力・既判力でさえも再審制度により修正を受けているのである。)

(三) 移送決定の手続及びこれに対する上訴手続を見てみよう。

まず、第一にそれは決定である。

従つて被告人・弁護人は口頭弁論において反論反証する余地がない。

それは結局捜査官の一方的資料に依拠して判断されるのである。控訴審判決自らが述べるように「移送の裁判は、証拠調等の実体審理に先立つて、主として書面審査により判断する」のであつて、後に見るように管轄の判断について要請されている判決手続から比較すれば著しく簡略化されているのである。

第二に、右決定に対する上訴の方法は即時抗告である。当然ながらその期間は三日間に限られる。のみならず、刑訴法一九条三項によれば、即時抗告は「著しく利益を害される場合に限り」「その事由を疎明して」なしうるのである。

(四) ところで管轄の存在は適正手続の基本的命題であり、国家機関の恣意を排するという意味で被告人の人権保障の第一歩をなすものと言わねばならないのである。

従つて、法は管轄の存否の判断についてはこれを慎重になすべきものとしている。刑訴法三二九条が管轄違の判決を定めて管轄違を言渡すには判決でなすべきものとし、刑訴法三七八条が不法に管轄又は管轄違を認めたことを絶対的控訴理由としているのはこの趣旨によるものである。

この場合、当然のことながら、被告人は口頭弁論を経た判決により管轄の存否についての判断を求めることが出来るのであるし、また不服であれば一四日内に控訴を申立てることが可能なのである。

(五) 仮に、控訴審判決の言うように移送決定が管轄の存在について移送を受けた裁判所の判断を拘束するものとしよう。

その不当性は明らかである。

本来であれば口頭弁論を経たうえ判決にて管轄の存否についての判断を求めうるにもかかわらず、被告人はそれを奪われる。

のみならず、先のような刑訴法一九条三項の制限を付されての即時抗告のみが救済の唯一の手段である。

(六) 移送決定の手続及びその上訴手続と刑訴法三二九条、三七八条を比較すれば結論は明らかである。

法の趣旨は移送決定に管轄の存在までの内容的確定力を与えることを許さないのである。

移送決定の主要な判断事項は、管轄の存在についてではなく、管轄の存在を仮の前提として、併合審判の利益等の移送を適当とする事情の存在にあるのである。そして、内容的確定力もその移送を適当とする事情の存在にのみ及ぶのである。あえて言うならば、移送決定は、「仮に移送を受ける裁判所に管轄が存するのであれば、併合審判等の利益から移送が適当である」と宣するのみであつて、それにとどまるのである。

従つて、移送を受けた裁判所は独自に移送決定に際して管轄ありとされた事由の存否を審理し、判断すべきなのである。

移送決定が移送を受ける裁判所の管轄権の存在を論理的に前提とするからと言つて、その存在についてまで内容的確定力を有するものと短絡するのは法の趣旨を真向から否認することとなるのである。刑訴法の体系を考慮しないあまりに稚拙な法解釈と言わねばならない。

移送決定に管轄の存在の内容的確定力を認める控訴審判決及びこれに類する第一審判決は、より簡略な裁判により上位の裁判とも言うべき判決の判断事項までも拘束し、これによつて被告人の防禦権を不当に奪い、明らかに憲法三一条に定める適正手続に違背するものである。

(七) 刑訴法の関連条項の文言もかかる内容的確定力を排する趣旨を表現しているものである。

(1) 即ち法一九条三項は著しく利益を害される場合に限り即時抗告をなしうるものとしている。

先に述べたように、管轄は存するか存しないであつて、「著しく利益を害される場合」という表現は管轄の不存在を理由とする上訴を念頭に置いていないものと推則されるのである。むしろ、管轄の存在とは別個の判断事項である併合審判の利益等の移送の適否に対して不服ある場合の上訴を前提とした表現であると解するのが自然である。

逆に言うならば、右法文の趣旨は、前述したように移送決定に併合審判の利益等の移送を適当とする事情の存在にのみ内容的確定力を与え、これについてのみ移送決定に対する上訴で救済されるべき機会を与えたものと解されるのである。従つて、法は管轄権の存否については別個に審理・判断されるべきことを予定しているものと言わねばならないのである。

(2) 法三二九条但書は、特に法二六六条第二号の決定の存する場合には管轄違の言渡をすることが出来ない旨を規定する。

これは、特に例外的に法が下位の裁判である決定に本来であれば判決において決すべき事項についても拘束力を与えたものなのである。

かかる規定が存するということは裁判の確定力・拘束力の一般理論から移送決定に管轄の存在についてまでの内容的確定力・拘束力を認める控訴審判決の論理を法自身が明確に排除しているという明白な証左であると言わなければならないのである。

(八) 結論は明白である。

移送決定には管轄の存在までを確定する内容的確定力はない。

移送を受けた東京地裁は被告人の申立のあるかぎり移送決定において管轄ありとされた事由について再度審理・判断する権限を有するのであり、これをなす義務がある。

移送決定の内容の拘束力を理由として移送決定において管轄ありとされた事由についての審理・判断を不可能若しくは不必要とする控訴審判決の論理は法の要請に違背する明らかに違法な解釈である。

四、結論

控訴審判決が東京地裁に本件につき管轄権ありとした論理構成の大要は最初に摘示したようなものであつた。

しかし、その理論構成の各論拠が明らかに誤りであることは以上の検討から明白である。

従つて、かかる論理構成に基づいて東京地裁に本件につき管轄権ありとしたその結論が誤りであることも多言を要しない。

第二、谷川との関連管轄について

以上によれば移送決定においては、管轄に関する内容的確定力が生じないのであるから、東京地裁において、口頭弁論によつて管轄の有無を審理しなければならなかつたのである。

本件においては、谷川との関連のみを審理しているので、以下に被告人らと谷川との関連において土地管轄が発生したか否かを検討する。

一、少年に対する公訴棄却の判決

1 原判決は、谷川に対する被告事件は、同人が少年であることが判明したため公訴棄却の判決がなされたが、同人に対する右事件の起訴は公訴棄却の判決のあるまでは適法として処理され、従つてその起訴を前提としそれとの関連を理由とする移送決定もまた適法というべきであるのみならず、谷川はその後逆送されて再び東京地方裁判所に起訴され同人に対する被告事件は適法に同裁判所に係属するに至つたのであつて、その時点で同事件との関連管轄の存在が改めて明確にされたとすることもできるから、いずれにせよ、公訴棄却の判決を理由に関連管轄を否定すべきものとすることはできない旨説示する。

2 右説示とくにその前段部分の意味するところ必ずしも明らかでないが、要するに、谷川に対する被告事件については一旦公訴棄却の判決がなされてはいるが、右公訴棄却の判決が遡つて、移送決定に影響を与えることはなくそれが適法であることに変りはないから、右適法な移送により東京地方裁判所に係属した本件被告事件については移送当初から同裁判所が管轄を有すること、および公訴棄却判決の後再度の起訴が同裁判所に行なわれていることの二つを理由に公訴棄却の判決が管轄の存否に影響を与えることはないとしているようである。

しかしそれでもなお、右二つの理由の相互関係は明らかでない。すなわち、たとえ再度の起訴がなくとも移送当初よりの管轄を肯定するのに十分とするのであろうか。そうであれば再度の起訴に言及する必要は全くない。しかし原判決は再度の起訴をもつて管轄肯定の補強としているのである。それでは面度の起訴によつて補強されてはじめて管轄を肯定しうる状態になつたとするのであろうか。そうであれば再度の起訴があるまでは東京地方裁判所に管轄はなかつたか、再度の起訴によつて、管轄の瑕疵は治癒されたとするほかない。論理的には中間の立場はないのである。しかし原判決はそのようにも明言しない。

再度の起訴によつて「関連管轄の存在が改めて明確にされたとすることもできる」というあいまいな説示にとどまつているのである。

3 しかし原判決が掲げる二つの理由の相互関係がいずれであるにせよ、右二つの理由は以下の諸点においてともに誤りであるから原判決の説示はいずれにせよ失当である。

(1) 移送決定の適否の問題と管轄の存否の問題とは別個の問題であり、移送決定が適法だからといつて管轄の存否の判断がこれに拘束されなければならぬ筋合いのものではないことは先に述べたとおりである。しかるに原判決は移送決定が適法であることをもつて関連管轄肯定の理由としている点において移送の問題と管轄の問題とを混同しており、そもそも判断の方法に誤りがある。

(2) のみならず原判決は、その説示の中で「同人に対する右事件の起訴は公訴棄却の判決のあるまでは適法として処理され、従つてその起訴を前提としてそれとの関連を理由とする移送決定……」(原判決九丁表)として、移送決定が谷川に対する被告事件との関連を理由としているかのようにいうが、これは全く事実に反する。移送決定当時、谷川の住所は未だ判明していなかつたのであるから、移送決定が谷川に対する被告事件との関連を理由にできるはずがない。移送決定が理由としているのは、本件各被告事件が伊藤みどりらに対する被告事件と刑訴法九条一項三号の関連事件であるということであつて、このことは原判決も他の説示部分では認めているところである(七丁表)。従つて原判決の前記説示は全くの誤りであり、かかる誤つた前提に基づき関連管轄を肯定することが誤りであることはいうまでもない。

(3) 谷川に対する被告事件につき公訴棄却の判決がなされたのは、同人が少年であるにもかかわらず家庭裁判所を経由しなかつたためであり、刑訴法三三八条四号に基づくものである。そしてかような場合同号の文言上も明らかなように公訴提起の手続上の瑕疵が重大であるため公訴の提起自体が無効とされるのである。従つて公訴棄却の判決があつた場合にはそれまでになされた訴訟手続、訴訟行為は全て無効となり、訴訟係属自体遡つて不適法なものとされるのである。原判決のように、公訴棄却の判決があつたにせよ、それまでの公訴提起や訴訟手続は適法に存在したとしてこれを根拠に関連管轄を認める余地はないのである。

(4) 一般に、土地管轄の有無は起訴の時点を基準に定められなければならない。そして起訴時に管轄を有しなかつた場合にはたとえ起訴後に管轄を有するに至つても管轄の瑕疵の治癒を認めるべきでないとするのが通説、判例の立場である。

これを本件について見るに、本件では千葉地方裁判所から東京地方裁判所への移送が介在しているため、土地管轄の有無は本件各被告事件が東京地方裁判所へ移送され同裁判所に係属した時点を基準に定めなければならない。

そこで検討するに、本件各被告事件が移送により東京地方裁判所に係属すると同時に谷川に対する被告事件も同裁判所に係属したが、谷川に対する被告事件については後に公訴棄却の判決がなされており、これによつて公訴の提起は無効とされ訴訟係属自体遡つて当初から不適法となつたのであつて、本件各被告事件が移送により東京地方裁判所に係属した時点において同じく谷川に対する被告事件も同裁判所に係属していたとはいえ、そもそも右訴訟係属は不適法なものであるから、かかる不適法な訴訟係属事件との関連を理由に関連管轄を肯定するいわれはないのである。

谷川について移送による再度の起訴がなくとも当初から(東京地裁係属時)管轄が発生していたというならば、仮に谷川について再度の起訴が千葉地裁に対しなされたとしても、関連管轄が発生していたこととなつてしまう。

このように原審の論理の不合理性は明白である。

(5) 少年に対する公訴棄却判決というものは東京地裁への訴訟係属を無効とするに止まらず、谷川に関する千葉地裁への起訴、東京地裁への移送手続すべてを無効にするものである。すなわち、一審及び二審判決においては、移送決定には内容的確定力(あるいは事実上の確定力)が存するから、谷川の東京地裁への訴訟係属は有効に存在したものであると考えている節もあるが、仮に谷川以外の者に対する移送決定に確定力が存するとしても、谷川に関しては前述のように移送そのものが違法であり、これとの関連を考える余地は全くないのである。

(6) さらに谷川については公訴棄却の判決の後少年法所定の手続を経由して東京地方裁判所に再度起訴されているが、本件の場合、土地管轄の存否は東京地方裁判所へ訴訟係属した時点が基準になるのであるから、右再度の起訴は管轄の存否に何ら影響を及ぼすものではない。

一般に、管轄違の裁判は公訴棄却の裁判とともに検察官の公訴提起の不適法を非難する意味を持つ。また管轄の瑕疵の治癒を認めれば、検察官による安易な脱法的起訴を許す結果となり、被告人の利益を害すること甚しい。

従つて管轄の瑕疵の治癒という概念は認められるべきではないのである。本件においても谷川の再度の起訴によつて管轄の瑕疵が治癒され東京地方裁判所への係属の時点に遡つて管轄が肯定されることはないのである。

二、氏名不詳者としての起訴及び移送

1 刑事事件においては、通常犯罪地を管轄する裁判所に対し起訴がなされるから、氏名不詳者についても住所が不明であるからといつて土地管轄が定まらないことはない。それ故、谷川も当初は通常通りに犯罪地を管轄する千葉地裁へ起訴されたのである。しかしながら、その後谷川は、氏名不詳のまま東京地裁に移送されたわけであるから、東京地裁に事件が係属したときは犯罪地としての土地管轄は存しなくなつたのである。

これに対し原審判決は、谷川は東京に住所を有していたから、土地管轄が存在し、その他の被告人らは、右谷川との関連事件として土地管轄が発生したと判断した。

2 しかしながら、管轄の存否は、被告人の起訴時を基準として判定されねばならない。谷川の事件が東京地裁に係属したときには、同人の住所も不詳であつたのである。このような場合には、後に住所が東京に存すると判明したとしても、遡及的に管轄が発生するものではない。

すなわち、検察官は住所を基準として土地管轄があるとして起訴するときは、その住所を特定した上で起訴しなければならない。少くとも検察官にとつては、裁判所の管轄地内にその住所が存するという資料があるときのみ起訴しうると考えねばならない。

なぜなら、住所不明のまま犯罪地以外において起訴することを許すならば、それは著しく恣意的な運用と言わざるを得ず、管轄違いの判決や移送の決定が出される確率がはなはだ高くなつてしまい、法的安定性に欠け、被告人にとつて極めて大きな不利益であるからである。

起訴時において被告人からみれば、管轄が定まつていないと言わざるをえないのである。

それ故、被告人の住所を基準として管轄を定めて裁判所へ起訴することを許すことは、その時点において検察官に住所の特定を主張させることが要件とならざるをえない。もし、その特定ができないならば、直ちに管轄違いの判決や移送をすべきであり、そしてそのような措置は被告人の防禦権行使のためにも、極めて合理的と考えられるのである。

結局、本件において、谷川の事件が東京地裁に係属したときには、住所を基準とする土地管轄は存しなかつたと言わねばならない。

3 ちなみに、起訴時において住所が不特定であつても、裁判所の職権調査等において住所が特定されれば管轄は当初より存在したのだという議論も成立しないことを付言する。

(1) 訴訟条件は公訴の有効要件であり、かつ実体審理の要件でもある。実体判決の条件ではない。この点からみれば、起訴時において住所に関する検察官の主張自体がないならば、検察官は訴訟条件が欠けていることを自白しているものであり、裁判所はその事実の真偽を調査する必要はないといわねばならない。

(2) これに対し、訴訟条件は実体審理の要件であるからといつて訴訟条件の存在を先に調査する必要性は必らずしもない。それ故、仮に住所が誤つていてでも特定されていれば、実体審理と併行して調査した上で結論を出せば充分といえるし、通常は住所が誤つていることもないだろうから検察官の主張が肯定されるだろう。

しかし、起訴時に住所が特定されていないということは、検察官において住所特定のための資料が全くないことを自白しているわけだから、裁判所においても調査の方法のないことは明白である。

このような場合、通常検察官は犯罪地又は現在地にて起訴すれば充分であり、住所地にて起訴する必要性は全く存しない。それ故、右場合には裁判所は直ちに管轄違いの判決又は移送をすべきである。

(3) また、刑訴法十四条の運用においても、右論理は裏づけられる。すなわち、住所が不特定であるならば、右条文の「管轄権を有しないとき」に形式上該当することとなる。裁判所としては、実体審理に先立ち、管轄の存在を調査せざるをえない。

三、以上のとおりであるから、いずれにせよ、本件各被告事件の管轄を谷川に対する被告事件との関連を理由に肯定することはできない。そうすると本件被告事件の管轄を肯定するには伊藤みどりらに対する被告事件との関連を理由とするほかないことになるが、この点については、原判決も「原判決言渡しの段階においても本件各被告人らと伊藤みどりらが同条項号の要件である『通謀して各別に罪を犯した』と言い得るかどうかは記録上必ずしも明確でない」(原判決七丁表)と指定するように関連事件であることの証明がない。従つて東京地方裁判所に本件各被告事件についての管轄権がなかつたことは明らかである。

第三、併合審理の不履行

仮に谷川の東京地裁への訴訟係属を有効としても刑訴法六条の管轄は固有の管轄事件と併合審判する場合に限り認められるべきものであり、また、固有の管轄事件と同時審判の可能性があるとして移送しながら、移送後において同時審判をなすべく具体的措置を全くとられなかつた本件は、移送制度を濫用したという外ない。

一、刑訴法六条の要件

1 原審判決の論旨

原審判決は、「刑訴法六条の立法趣旨は主として関連事件につき併合審判のを行うことの利益を考慮し、これら事件を同一裁判所に係属させることを可能にするところにあ」るとしながら、結論としては、「刑訴法六条の管轄の成立するためには、数個の関連事件について同時審判の可能性があることを要するが、それらの事件が現実に併合審理されることを要件とするものではないと解するのが相当であ」ると判示する。

そして、その根拠として、同条は、併合審判か個別審判かというような具体的な訴訟手続上の問題に触れるものでないことは文理上明らかであること、管轄成立の要件として併合審判が必要であるとの解釈を導く手続規定がないこと、弁論の併合を適当とするかどうか、個々の事件の内容や進行状況等によつて左右されることが多く、また、併合審判の形態も多様であることなど弁論併合手続の流動的な性格に照らすと、本来一定の基準に従い恒常的なものとして設けられた管轄の存否を弁論の併合の有無にかからせるのはきわめて不合理というべきであることを判示する。

2 原審判決の論旨は管轄制度において保護されるべき被告人の利益を無視した形式的論理である。

原審判決の前記論旨は、管轄制度において保護されるべき被告人の利益について全く理解しないか、若しくはあえてこれを無視し、もつぱら条文の文理に依拠し、形式的根拠に基づくものであり、到底承服できるものではない。

(一) 管轄権の制度趣旨

管轄権につき、学者は、「全国に六五〇余にものぼる裁判所があるが、そのどこへでも公訴を提起してよいとすると、まず第一に、被告人に不便を強いることになりかねない。遠隔地に起訴されれば、出廷に不都合なばかりか、無罪を立証する方法にも不便を感ずるであろう。これは被告人の人権保障の観点からの問題である」(田宮裕編著「刑事訴訟法Ⅰ」五一七頁)とか、「管轄は、事件の軽重、審判の難易、審判の便宜、裁判所の負担と公平、被告人の便宜など考慮して定められる。この管轄は、まえもつて法規で一般的に定められ、事件が発生すると自動的にこれを審判する裁判所が定まるのが、一つの理想である」(平野竜一「刑事訴訟法」五八頁)と説く。すなわち、管轄権は、単に裁判所の負担の公平という見地からのみ定められたのではなく、むしろ、被告人の便宜、特に防禦上の被告人の利益を保護することが右制度の第一義的趣旨である。そして、「土地管轄は、事件の審判の便宜、とくに被告人の出頭・防禦の便宜を考慮して定められている」(平野竜一前掲書五八頁)のであるから、被告人は、第一次的に固有管轄を定めた刑訴法二条所定の管轄権を有する裁判所において審判を受ける権利を有するのである。

(二) 関連管轄を認めた理由

原審判決は、刑訴法六条の立法趣旨につき、「主として関連事件につき併合審判を行うことの利益を考慮し」て設けられたと判示しているが、まことにそのとおりである。しかるに、結論として、併合審判が関連管轄の要件ではないとする。これは、右にいう「併合審判を行うことの利益」の実質について何ら考えていないことを物語る。併合審判の利益として、訴訟経済の効率化、被告人の防禦の便宜、心証の共通、量刑の均衡などがあげられるが、いずれも被告人にとつて重要な利益である。とりわけ、本件のような事件においては、被告人の防禦の便宜のために併合審判は極めて重要である。すなわち、本件の如き社会的かつ集団的事件においては、事件の背景等のいわゆる総論的立証は被告人の防禦にとつて不可欠であるが、証人の確保一つを考えても個別審理に比べ併合審理の場合は極めて容易となる。さらには、この種事件を弁護する弁護士が残念ながら少数であるために被告人が確保できる弁護人の数は限定されており、この点からも併合審理が行われれば少数の弁護人で弁護活動することが容易となり被告人に重大な利益をもたらす(以上、佐々木史郎著「集団事件」――熊谷弘外編「公判法大系Ⅲ」一七三頁以下参照)。すなわち、「併合審判を行うことの利益」は主として被告人にあるのである。そして、刑訴法が、二条の管轄権の原則を拡張して六条の関連管轄を設けたのは、主として被告人の右利益を保護するためである。

(三) 原審判決の解釈の誤り

以上明らかなように、管轄制度は被告人の便宜及び防禦上の利益の保護を第一義的目的として設けられたものである。したがつて、被告人は固有管轄権を有する裁判所において審判を受ける権利を第一次的に有する。そして、関連管轄は、主として併合審判を受けることにより得られる被告人の利益を保護するために設けられたものであるから、右制度により管轄権を認められた裁判所は、関連管轄事件につき固有の管轄事件と併合して審判しなければならない。すなわち、「関連管轄は、いわば拡張された法定管轄であり、固有の管轄事件と併せて審判する場合に限つて認められる」(高田卓爾著「刑事訴訟法」五六頁)。してみれば、関連管轄は、併合審判されて初めて管轄の要件が充足されるのであり、その意味でまさに「条件付管轄」(高田卓爾著前掲書五八頁)なのである。弁護人が原審で主張したとおり、刑訴法六条の管轄は固有の管轄事件と併合審判する場合に限り認められるべきなのである。

もつとも、原審判決が指摘するように、審理の途中において法律上併合審理できない状況がないとは言えない。しかしながら、このような状況は極めて例外的に一時的に発生するにすぎず、この場合、一時的に分離して審理し、その後再度併合すれば併合審判の実質が失われることはなく、このような枝葉末節な技術的な問題を根拠として併合審判を受けることにより得られる被告人の利益を否定することは許されない。

原審判決は、要するに管轄制度の趣旨、すなわち右制度により保護されなければならない被告人の利益を理解せず、あるいはこれを無視し、もつぱら条文の文理的解釈を根拠にし、あるいは枝葉末節な技術的問題に拘泥して刑訴法六条の解釈を誤り、自から認めた同条の制度趣旨を真つ向から否定する結論を導き出したものである。

二、移送制度の濫用

本件は、東京に住居を有する伊藤みどりらに対する被告事件と関連し、同事件と併合審判するということで固有管轄権を有する千葉地方裁判所から関連管轄権を有する東京地方裁判所へ移送され、しかも、右移送手続のために被告人らは長期間の勾留を強いられたという事件である。被告人らが右移送について、東京地方裁判所においては当然右伊藤みどりの事件と併合審判されると理解したことは至極自然なことである。しかるに、東京地方裁判所へ移送された後においては、被告人らが右併合審判を強く要求したにもかかわらず全く無視され、裁判所は併合審判のための措置ないしはその努力を一切していない。「結局裁判所に騙されたのではないのか、何のために一年間も勾留されたのか」という被告人らの素朴な疑問に対し説得力のある論証は不可能である。本件の推移はまさにそのとおりだからである。

すなわち、千葉地方裁判所が刑訴法六条による関連管轄があるとして本件を東京地方裁判所へ移送したのは、前述した関連管轄の制度趣旨に照らし、とりもなおさず関連事件である本件を個有の管轄事件である伊藤みどりに対する被告事件と併合審判されることによる本件被告人らの利益を保護しようとしたからに外ならない。右移送に伴い被告人らの勾留が長期化することは、被告人らの申立による移送でない以上本来許されないことであるが、唯一論拠としてあげられるのは、右併合審判による被告人らの利益を保護するためになした措置であるからこれに伴いある程度被告人らが不利益を負担するのはやむをえないという論理である。

しかるに、一方で長期勾留の不利益を強いながら、他方では被告人らの利益を保護する措置を全くとらず、その努力をしていない本件では、被告人らの犠牲のもとにもつぱら裁判所の負担を調整するために移送制度を濫用したとしか理解できない。

関連事件の管轄は既に述べたように個有の管轄事件と併合審判する場合に限り認められるのであるが、仮に百歩譲つても、本件のように、もつぱら裁判所の利益のみを考慮して移送したうえ、移送後においては、被告人の利益を全く無視して併合審判の努力すらせず、移送制度を濫用したことが明白となつた場合は法の濫用であり、やはり管轄違いの判決をなすべきである。

第四、同時審判の可能性の意味

一、仮に刑訴法六条の関連管轄の要件を併合審理そのものとしないとしても、関連事件について「同時審判の可能性」を要件としなければ関連管轄を認める意味は全くない。

それ故、原審判決においても、「六条の管轄が成立するためには当該裁判所に固有の管轄権を有する事件と他の事件とが併合審判を含む同時審判の可能性がなければならないことはいうまでもない」と言つているのである。

二、しかしながら、他方で原審判決においては、同時審判の可能性のある限り、これを国法上の意味の同一裁判所に係属させればよいと言つている。なぜ国法上の裁判所に係属させれば同時審判の可能性が充足されるのかが極めて不明確である。

なぜなら原審判決においても「各事件の審判に当る訴訟法上の意味の裁判所(裁判体)が、具体的な訴訟の状況に応じて弁論の併合の適否を判断しこれを円滑に実施しうる体制を整えることが、それらの事件の迅速的確な処理上重要でありまた適切であるといつているのである。

弁論の併合の適否を判断し、迅速的確な処理をするには関連事件が一つの訴訟法上の裁判所に係属していなければなしえないはずである。

また訴訟経済の効率化、被告人の防禦の便宜、心証の共通、量刑の均衡等という併合審理についての被告人の利益を追求しうる態勢をとることが「同時審判の可能性」の意味である。

よつて、関連事件が一つの訴訟法上の裁判所に係属して始めて関連管轄が発生するものといわねばならない。

三、原審判決のように、関連事件が一つの国法上の裁判所に係属すれば同時審判の可能性が存するということは、証拠物・証拠書類原本が一つの国法上の裁判所に存在するとか、一つの検察庁が事件を処理しうる等の便宜しか存在しないのであり、前述したような被告人の利益は全く守られないのである。

第五、上訴理由

一、以上によれば、原審判決は、憲法三一条、三二条、三七条に違反する。

二、また原審判決は不法に土地管轄を認めたことから、刑訴法三七八条一号に該当することから、当然に同法四一一条一号に該当するものであり、破棄をまぬがれないものである。

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